4. 五月蠅なす悪しき神々の国



 湯治客の中に顔なじみが出来るほど湯に浸かって8日目、いつものとおりバスでホテルへ戻ると駐在員のテナーが待っていた。
 明日には合が起こるだろう、との連絡を持って。
 リーマスは了解するとすぐに移動すると言い、部屋をそのままに、簡単な荷物だけ持って、俺とリーマスは彼女の運転する車で調査地点の近くまで移動する事にした。
 テナーがハンドルを握っていた間は、彼女がいろいろと話をしてくれて、車内に沈黙が降りる事は無かった。
 途中、彼女達の家で仮眠を取って、そこからはゲドが運転する、という。
 その間も一切魔法は無しだ。
 だいたい今回の調査はなんか変だ。
 こういう調査では大抵現地の魔法使いがサポートに入る。特に別の国の魔法使いがその土地でうかつにうろつきまわる(と云うより力を使う)と、魔法の連鎖反応や複合作用でトラブルになったりするからだ。それなのに、今回は『精霊の捕獲』も有るかもしれないと言いながら、日本の魔法使いは付いてない。俺達はまったく魔法を使わずに居るし、駐在員も一切力を使わない。
 徹底し過ぎだ。
 聞きたいことはいろいろ有ったが、テナーの良人のゲドは寡黙な性質のようで、ほとんどしゃべらない。リーマスもゲドが寄越した計算用の盤(結界内での調査時間が書きこまれていた)に見入っているので、一人でしゃべるわけにも行かず、こういう時の常(貼り込みには体力が一番)で俺は睡眠をとる事に専念した。


 登山道の入り口で夜明けを待って山に入る。道は幸いに石段になっていて、かつてはここが祭祀に使われた事を示していた。
 薄く朝もやが太陽の光で幾重ものヴェールの様に木々の間にかかる。崩れかけた急な石段を上りながら、テナーが話してくれた事を思い出す。
『この国は、古くは五月蠅なす悪しき神々の国と云われた。力ある神々のたくさん棲んでいる騒々しい国(土地)という意味よ。』
 見通しのない深い森。巨木のもたらす威圧感、絶え間なく梢がざわめく空間は、そういう風景を知らない征服者達にとっては恐怖の対象だったろう、と。
 たまに俺が相槌や質問を入れると、それに反応して話題が変わる。
『山姥、山童子というのは豊穣性の神格を持っている。生産性や再生、同時に死を司る。つまり、神霊級の精霊だという事ね。山姥は人と山を繋ぐし、一般的には人に近い…医療や託宣という形で人と係わることも多いのに、山童子は精霊としての性格が強い。』
 …ちょっと待て、聞き捨てなら無い事を言わなかったか?神霊級?可能であれば、山童子の捕獲、が予定表に入っていなかったか?などと突っ込もうとしたときにはリーマスの質問が先に入って、二人は山童子の見掛けについて話込んでいた。…もしかして俺は、はぐらかされたのだろうか?
 
傍らのリーマスを見ると、何処か茫洋とした眼で前を見ている。
 穏やかな、感情の読めない顔。
 
自分と違ってリーマスはめったに感情を出さない。それでも長いこと一緒に居るおかげ(学生時代から合わせて15年超)で、大概は読めるようになった。
 彼はひどく緊張している。
「あの温泉に入っていたのは、この土地の力に馴染みやすくするためだったんだよ。それでも…君が結界を抜けるのは難しいかもしれない。」
 不意にリーマスが口を開いた。

「俺は一緒に行く。」

「シリウス、」

「一緒に行く。人がやばいならアニメーガスを使う。」

 リーマスが溜息をついたのがわかった。

 幾重にも重なる透明な緑の天蓋は複雑に絡みながら林立する幹と相まって大伽藍のようだ。
 気温はかなり高いが、木陰を通る風のおかげで、耐えられないほどではない。
梢のむこうに陽光が揺れる様は、水の中の光景に似ている。
 視界の端をふっと白いものがかすめた。
 とんでもない霊気だった。

 そちらへ視線を動かしそうになるのを、リーマスの声が止める。
 「シリウス、良いんだ。」

 首筋が総毛だっている。
 それからも白い小柄な少年は、時々視界を掠めたが、リーマスは黙々と石段を登った。
 
苔むした緑の石段を登りながら、大岩をぐるりとまわったとき、二人とも気おされるように足が止まった。 日差しも、緑の植物の勢いもまったく変わらないのに声まで吸込まれそうな静謐な空気が体を押し包む。
「シリウス、」

 音の無い呪文を詠唱して俺は自身を黒い獣へと変えた。
 
いっそう慎重に石段を上がる。
 水に潜るような感触が体を押し包んだ。

 樹々が謳っている。まるで、大聖堂の合唱だ。耳の中で音は幾重にも反響して声の様だった。

 眩暈を起こしたわけでもないのに、時々風景がゆらりと揺れる。

 リーマスが囁くように訊ねた。
「シリウス、ここで、私達以外のヒトの匂いはあるかい?」
 …俺を犬にしたのはまさかこのためか?

 非難が届いたのか、リーマスが憮然とする。

「誤解しないでくれ、あの結界は闇の属性をあわせ持つものを通すようになってるんだよ。人間のままなら、君はまだあの石段の下だよ。」

 不意に精製した薬品の微かな匂いが鼻をかすめた。
この場に馴染まない異質な匂い。
 香や乾燥したハーブの匂い。むしろ『自分たち』に属する匂いだ。
 
鼻を鳴らして、リーマスを誘導する。
 匂いは石段の道を外れていた。

 しかし、俺の足は、その匂いの元へ近づくに連れて遅くなる。

 なんとなく嫌な感じがする。

 性質の悪い罠が待ってるのが予想できるような感じがする。

 滴るような緑の向こうを白い少年が歩いている。

 不意に現れた空間。
 古い木々の中にあって、ひときわ巨大な樹。
 結界の中の、これが多分中心だ、と確信する。

 幾種類もの樹が融合して、まるでそれ自体が森のような複雑な安定した系。

 そしてその根元に、その男がいた。

 樹に半ば埋もれるようにしてかすかに俯いている。
 まるで何年もそこに居たというように、緑色に苔むした身体。
 
だが、明らかに奴は生きていた。
 …間違い無い。
リーマスが俺を犬の姿にしたのは、こいつのためだ。
 
トレードマークの黒尽くめの服…だったろうものはほとんどを緑に覆われている。
「身体は変質しているけど、意識は…まだ『彼』のものだ。」

 低く唸る俺を制し、リーマスは奴に近づく。
「…セブルス、」
『…どれだけ経った?』

「まだ、二ヶ月ほどだよ。」

『…やはりあれが居ると時間の感覚は狂うようだな。』

 その声からは苦笑するような感情が伺えた。極めて皮肉屋の奴にはおよそ相応しくない。

「あのさっきから見える白い女の子は…」

 女の子?少年じゃなく?

『あれは人ではない。男でも女でもない。見たいものの姿をとる。』

 奴の意識の中に、はっきり苦笑の成分が混じった事を感じた。

『杖を、
…私の知り得た事は全部それに記憶されている。委員会に提出してかまわない。』
「本当に?」
『どんな魔法使いもこの力を制御する事は出来ない。あれを制御するのは不可能だし、そもそもここから連れ出す事が不可能だな。あれは山そのものだ。ここに属して離れようが無い。捕獲のしようが無い。
報告にはそれでこと足りる。』
「やはり、あの子は地霊なんだね?」

 地霊、その土地、泉や樹や岩、それら物質が焦点となって形を取る精霊。

 魔法生物と違って、彼らは純粋にその土地に依存する。いわば、力そのものだ。

『あれは…確とした意識を持って力を振るって居るわけではない。議会の報告書に付け加えておけ。 貴様の勝ちだ…世界は人のためにだけ在るわけではない。』
 傍らに転がっていた杖を慎重に拾い上げ、しまう。
「…セブルス、君はあの子を捕まえようとしてこうなったのかい?」

『違う。いまいましいが、己のミスだ…あれは、動けなくなった私に、まだ生きたいのかと聞いてきた。私は応えた。…それだけだ。』

 俺は自分の身体が震えるのを止められなかった。
魔法の痕跡も何も無いのに、奴の身体は神樹に半身同化している。肉体は変質しているのに、人の意識は明晰なのだ。あの白い少女に見える『もの』はとんでもない力を持っている。
「…もし、君が望むなら、私は君を連れて帰るよ。誰が反対しても。」
 
ぎょっとしてリーマスを見る。
 
ここまで変質した肉体を戻し、この結界を破るのはかなりの荒業になる。ましてや、この場の『主』が抵抗すればただではすまない。背後に佇む気配からは明らかな敵意が漂っているのだ。
 恐ろしいような緊張感。

 こんな野郎のために、神霊並みの精霊とまともに対峙する事態は願い下げだった。
『いらん』
「セブルス!」

『去れ、そろそろ合が終わる。』
「セブルス…」
『去れ』
 確かに空気が振動を始めている。何がしかの変化の前触れだ。
 俺はリーマスの上着を咥えて引いた。
 こういう魔法遺跡では行きと帰りのルートや距離が必ずしも等しくは無かったりする。ましてや『主』が侵入者に敵意を持っていたりすると妨害の可能性も出てくる。
 身じろぎもせず奴を見ていたリーマスは、ぐっと口を結んで振り向いた。
「いこう、パッドフット」
 先になったリーマスは、後ろを振り向かなかった。


 俺達は、苔むして滑りやすい石段を可能な限りの早さで駆け下りた。拍子抜けするほどあっさり結界を抜け、俺達はうんざりするほどにぎやかで濃密な、虫や風の音のする世界へ戻った。
 まだ、日は高いようだ…今が結界に入った日と同日なら。
 半ば項垂れるように歩くリーマスの横で、人に戻った俺は、うっぷん晴らしのようにしゃべりつづけた。
 なんでこんな遺跡の調査にやたら議員がからんでんのかと思ったら、やっぱりろくでもねぇ思惑だった、とか、あんな奴のためにこんなとこまで来て、挙句精霊に喧嘩まで売ろうとするなんて信じられんバカだ、とか。どちらかと言えば、リーマスにしゃべる隙を与えないために思いつく限りの文句を口にした。
「私が行くはずだった。」
 隙を付かれた。
「初めは私が行くはずだったんだ。」
 まるで涙をこぼすようにつぶやきつづけた。聞きたくなかった。
「彼じゃない。私が…」
 一瞬泣いてるのかとおもってリーマスを見たが、血の気の無い顔は乾いていた。
「……だったらなんだ?ああなっていたのはお前のほうだったとでも言うのか?そんな事になってみろ、俺はどんなことても取り返すぞ。結界が壊れようが、精霊と喧嘩になろうが気にしない。引きずってでも連れ戻す。」
「私の意思は?」
 一瞬詰まったが、ここで引っ込むわけには行かない。
「俺一人で出来ないなら、リリーでもジェームズにも手伝わせる。」
 いや、リリーなら放っといても飛んできてリーマスを引きずり出すだろう。……まあ、その前に俺は殴られるのだろうが、いや、殺されるかもしれない。「お前があいつらに抵抗できるわけ無いからな。」
「卑怯だな」
「卑怯でも良い。」
 向き直って、リーマスを見る。
 彼の顔はここ数日間の湯治でとても元気になっていたのに、今はひどく疲れて倒れそうになっていた。

「そんな簡単に人である事を捨てないでくれ。」
 彼の表情は泣き笑いの様に歪む。
 まだダメか?
「・・・ああ、もう!こういうときはだ、とっとと帰って、バス使って…」
 温泉が悪夢の様に頭をよぎったが、気力で続ける。
「・・・お前の好きな甘いもの食ってあつい茶でも飲んで、とっとと寝ろ。どーせ起きてたってろくな事考えないんだからな!」
 ホテルなら、紅茶とお菓子くらいあるだろう・・・と思うのだが。
 一気にしゃべった俺に漸く苦笑が返る。
「…君は正しい、パッドフット。」
「当然だ」
 生き物として、これが正しい。
「帰ろうぜ?」
 俺はリーマスに手を差し伸べる。
「うん。帰ろう。」



 汗ばむほどの熱気の篭る森で立っていたのに、預けられたリーマスの指はひやりと冷たかった。





つぶやき

しまった、大鼻男はやっぱり死体にはならなかったかっ!
いい年の野郎二人がお手てつないで…若いから良いか?
でも参道の入り口ではゲドが待ってる。

彼はきっと見ないフリをするだろう。


…パラレルってダブルパロでもないと、ほとんどオリジナル並みに書かなくちゃいけない。
手間食うわ、ほんと(えらそーに)。


’03.11.08




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